二十四節気でいえば「穀雨」
4月20日〜5月5日の頃です。
穀物がしっかりと育つようにと、春の雨が降る頃とされています。
例年であれば、この時期はぼくが住む札幌周辺の桜が咲き始める頃ですが、今年はもっと早くから咲き、満開を迎えた頃がこの穀雨の時期と重なりました。
最近は穀雨という名の通り、雨がちの日もありましたが、それでも晴れた休みの日には梅や桜を見て歩きました。
今日はそんな穀雨の頃に、札幌市内で撮った梅や桜の写真を載せていこうと思っています。
みなさんには春の日差しのように暖かな目で読んでいただけると嬉しいです。
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春の日差しの中で。


梅でも桜でも、嬉しい春の花。
この頃、お休みの日や仕事帰りなど、ちょっとした桜や梅の咲いている場所があれば、少しお散歩してその様子を見て歩いていました。
季節は立ち止まる事はなくて、梅や桜の季節というのも一瞬で過ぎてしまうものです。
さらに今年は桜が早く咲いた事や、梅や桜の種類なのか北海道という地域特有の物なのかはわかりませんが、一般的に梅が咲いたあとに桜が咲くという順番も、今年は早咲の桜が咲いてから梅の花が咲いていたように思います。
ですので、「いつどこへあの花を見に行こう」というよりかは、あてずっぽうに出かけた先で花が咲いていれば、それが梅でも桜でもその姿を愛でて眺め、写真に撮って歩くというのが今年の春だなあと感じています。
家に帰って来てからその日撮った写真を見れば、梅や桜の花が交互に入っていたりして、「自分は何の花か分かってて撮ってたのだろうか。」なんて我ながら微笑ましくも思います。
過去の桜の記事もよかったらご覧ください
そんなわけで今年は、「ここの桜を見にいきましたよー」というような記事を書けるかどうかわからないのですが、過去に書いた桜の季節の記事はタグでまとめてありますので、よかったらこちらからも読んでいただけたら嬉しいです。
ぼくも改めて上のリンクから過去の桜シーズンの記事を読んでみましたが、札幌市内だと真駒内用水路の桜並木がやはり印象的ですね。
実は今年も見に行っておりました。
ここは「静かな住宅街にある用水路沿いの桜並木」と、文字にして想像する以上に風情がある素敵な場所なんですよね。
来年の話にはなってしまうかもしれませんが、ぜひみなさんも足を運んで見に行ってみてほしいなと思います。駐車場などはありませんので、地下鉄の真駒内駅から歩いていくのがおすすめですよ。
それでは、撮った日はバラバラですが、春の日に撮った梅や桜の写真を引き続き載せていきますので、この先もよかったらご覧ください。
梅や桜や、青い空と春の日々。






季節の移ろいと、カメラの設定。
今年の梅と桜の写真、いかがだったでしょうか。
少しずつではありますが、ぼくの写真撮影の腕も上達していると良いのですが。
そういえば、最近はカメラの撮影モードをマニュアルモードで撮る様になりました。
以前は絞り優先モードで撮っていたのですが、マニュアルモードは設定の自由度が高く、「こういう感じで撮りたいな」という希望にある程度近い形で撮ることが出来ることに今更ながら気がつきました。
その代わり設定する箇所が多く、それらのバランスも理解する必要があるのは事実ですが、一度カメラの設定の仕組みを覚えてしまえば、案外なんてことはなかったです。
むしろ、自分で見たその場所や時間や空気みたいなものを、より正確に写真に収めることが出来る様な気がしていて、撮影する楽しみがひとつ増えました。
オートモードもおすすめです。
それでも綺麗な夕焼けや朝焼け、はっとするような綺麗な瞬間は、カメラのオートモードでも撮る様にもしています。
多くのカメラに搭載されているオートモードは、その名のとおりシャッターを押すだけで何の設定もせずとも綺麗に撮影してくれるものですが、やはりカメラメーカーが作っただけのことはあって、シーンに合わせてとても綺麗に、そして雰囲気よく撮影してくれます。
あとから撮影設定を確かめてみれば、「オートだとこんな設定で撮るのかあ」と勉強にもなったりしますし、マニュアルモードとオートで撮ったものを並べてあとで比較するのも楽しいです。
これからもマニュアルとオートモードを交互に撮影し、少しずつ撮影の技術を高めていきたいなと思っています。
そしてなにより、写真を撮ることが好きなので、これからもカメラを持ってあちこちほっつき歩いて行くのでしょう。
巡る季節と。

銭湯のある暮らし。
桜のシーズンもおわりに近づくと、桜の木の下にはハラハラと落ちた花が積もっていき、季節が巡っていくのを感じずにはいられません。
そしてぼくは今年に入ってから、頻繁に銭湯へ通うようになりました。
前回の記事でも「月見湯」に行ったことを書きましたが、他にも「こうしんの湯」「文の湯」「望月湯」「千成湯」「湯屋サーモン」などを訪れています。
実は銭湯には子供の頃に行っていた以来なので、はじめは少しドキドキしたものですが、少しずつ銭湯文化にも慣れて来た気がします。
それどころか、いまやぼくの暮らしの中に「銭湯へ行く」という事が、ふつうに組み込まれた感じもしています。
あれから。
迷わずにいえば、「ディスタンス」という言葉とともに暮らした数年のあいだに、ぼくは何となく心も含めて人との距離感がわからなくなっていたような気がしていて、それが「元の生活に戻りますよ」と言われても、いまいちピンと来なかったのです。しばらく乗っていなかった自転車に乗るときみたいな気持ちというか。正直うまくは説明できませんが。
けれども、「銭湯」という場所へ行くと、それが元の自分や文化や習慣に少しずつ戻れるような気がしていて、もちろん気をつけなければならないことに変わりはありませんが、昔ながらの習慣が忘れかけていた何かを思い出させてくれ様な気がするのです。
それに、お風呂上がりの街を歩くのは、とても心地が良いのです。
きっとぼくはこれからも銭湯へ行き、お風呂上がりの街を歩いて、夕方から夜の風を感じて、そしてまた巡る季節を過ごしていくのだと思います。
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今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この記事が誰かの何かの役に立てば嬉しいです。