冬色の景色、石狩を撮り歩き

冬の石狩風景

よくみていれば色々なものがあります。

冬には色が無いと思っていたのは思い込みだったかもしれません。

よく見て歩いていれば、色も音も冬ならではのものがあります。

たとえば動物の足跡なんてのは、冬の雪があるからこそ分かる様なもので、夏場の草が生えている状態で彼らの足跡に思いを馳せることは容易いことではありません。

そして葉が落ちた木やすすきは、しっかりと大地に立っていて次の季節にはまた違う顔を見せるのだろうと想像させてくれます。

冬は一面雪で色がなくて写真映えしないなんて思っていたのは勝手な思い込みどころか、家のストーブで暖まりながらぬくぬくと時間を惰性で過ごしているぼくの、ただの言い訳にすぎませんでした。

しんとした風景の中に遠くの音が聞こえることも、雪で多くのものが覆われてそこから顔を出しているものがよく見えることも、冬ならではのものだとわかります。

札幌から少し出て、石狩のあたりまで行ってみるだけで、綺麗な冬をちゃんと感じられました。

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外に出てみてよかった

気温が低い日の雪は、一歩足を進める度にギュっという音がします。

それがギュッギュッと連続していくと、目の前には色々な景色が見えて来ます。本当によくみていれば、太陽に雲がかかるだけで光量や色ひとつ取ってもだいぶ変わって来ます。

晴れていれば遠くの音もクリアに聴こえて来ますが、吹雪いてしまうと全ての音がかき消されてしまいます。

真横に吹き付ける地吹雪がぼくの体の片一方を真っ白にすることも、風がどこからどこへ吹いているか一目瞭然です。

そういったのも全部、この季節に外へ出たからわかるのだなあと改めて感じる日でした。

これからもよく見ていよう

そいういえば子供の頃に初めて自転車に乗った時は、風を切って走るのも友達に家に短時間で着けるのもちょっとだけ遠くにいけるのも、それはもう最高な気分でした。

けれどこうして歩いてみると、はじめて自転車に乗ったときの最高な気分と引き換えに置いて来たものに、すこし些細なことに、気がつくようになったとでもいえば良いでしょうか。

何だかうまく言えないんですけれども。

間引いてしまってた何かを感じていたい。

だいたいぼくは普段から効率重視(めんどくさがり)傾向があるので、だいぶ遠回りしてようやくこういうことに気がつくようになってきたのかもしれません。

たぶんこれからも何でも効率よくやりたい。って気持ちは変わらないと思うのですが、風景とかそこにある音とかを感じる時には、時間とか体力とか諸々のリソースを全部無駄遣いするくらいな気持ちで、いつも景色を気にして感じていたいなあと思います。

そうしたらきっと些細なことにいっぱい気がつくような気がします。

写真はこれからもたくさん撮りたいし撮り方の勉強もしたい、あとは風景を伝えるのにもっと他の方法はないのかななんて思ったりしています。

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