だいたい12月21日〜1月4日のあたり。
二十四節気では「冬至」といい、冬の寒さが増していくころで、かぼちゃを食べたり柚子湯のお風呂に入る頃と覚えている方もいるかもしれません。
栄養のあるものを食べ、身体を暖かくし、寒い冬を乗り切っていこうという先人たちの知恵なのでしょう。
そんな季節、ぼくは銭湯でゆっくりと身体を温めていました。
銭湯のおはなし。
ところで銭湯は良いものです。
なにしろ大きな湯船で手や足を伸ばして温まることが出来るのですから。
近年は内風呂といわれるお家の中にあるお風呂に浸かる方は多いと思うし、もっと言えば湯船に浸からずにシャワーで済ませる方も多いと思います。
けれどそんな方も、たまには銭湯に行ってみてほしいなと思うのです。
今日はそんな銭湯のお話をしつつ、この日の銭湯帰りに見た日没後の空の色の写真も載せていこうと思います。
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忘れかけていた距離感

銭湯について思うことを書いていく。
一昨年あたりから銭湯に通う様になった。
以前は全くと言って良いほど訪れることがなく、行き始めたきっかけは「広い湯船に浸かってのんびりしたい」という気持ちだった気がする。
そうして実際に銭湯に行ってみると広い湯船の良さも勿論あるのだけれど、様々な人が来ていて地域の人たちの交流という役割も果たしていることにも気付かされた。
例えばご近所の常連さんと思われる方々がお話しているのをよく見かけるし、そういう訳でもない全く知らない人同士で少しお話することもある。
実際にぼくも「最近は寒い日が続くねえ」なんて話かけられたら、「そうですね、銭湯があるのはありがたいですね」なんて答えて、何てことの無い会話をする。
湯船や洗い場という空間

忘れてた距離感
そんなふうに何てことの無い会話をしていて気がついた。
「ここ数年は人との距離感が難しかったけれど、こうしてすぐに身近になっていくのだな」と。
銭湯が好きな人や銭湯が必要な人が集まってきて、そして年齢も職業もバラバラの人たちが同じ湯船に浸かり、洗い場でも横並びで座るのだ。
何年か前までは「これくらい距離をとろう」と言われていたものが、知らずにいつのまにか自分の中に定着してしまった部分もあったみたいで、銭湯に行くと「人との距離ってこんなに近かったけ」なんて思うのです。
たしなみという美しさ

銭湯のたしなみ
こう書いてしまうと難しく思われてしまうかも知れないし、ぼくも行き始めた当初は難しいかななんて思ったけれど、案外そんなことは無くて。
結局は他の人が気持ちよく利用出来る様に、綺麗に利用するという点に尽きる。
湯船に浸かるのは身体を洗ってからとか、桶や椅子は綺麗にして戻そうとか、そういうことだ。実際に銭湯へ行くと「銭湯の楽しみ方」とか「銭湯のマナー」とかの紙が貼ってある所もあるのでそれを見ても良いし、事前にネットで銭湯のたしなみ方を調べてから行くのでも良いと思う。
そんなに難しく考えることは無くて、えいっと行ってしまえば良いのだ、うまく出来ないことがあったら周りの人の所作を真似たりして慣れていけば良い。そうしたらきっと少しずつ「たしなみ」みたいなものが身についてくる。
お風呂上がりの空の色
スマホやネットの中にもコミュニティはあるけど、それはどちらかといえば自分が中心にいて周りの距離感が仮想的なものと考えると、いっぽうでリアルな人との距離感をこれでもかと感じられる銭湯というのは中々貴重な現実空間なのではないだろうか。
そう考えると、そこに灯された暖かさはいつまでも残っていてほしい。そう思いながら今夜もお風呂道具を持って銭湯に寄るのです。
銭湯を出て見上げた空は、茜色から深い青にバトンタッチする頃の綺麗な色でした。
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今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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